目には見えない地域の“文脈”を読み取り、分断された社会と構造物の関係をつなぎなおしていく

2021.09.21

大阪大学工学研究科教授で、都市計画を専門とする木多道宏さん。「人間と環境はともに進化し発展する」という考え方のもと、私たちが体験する「空間」を支えている「地域文脈(地域コンテクスト)」という概念をベースに、建築から都市・地域までを対象とする研究・活動をされています。地域文脈を読み解くことで、今いる空間と自分たちの関係は変わり始めるんじゃないか。

そんな予感が芽生えるようなお話を聞かせていただきました。

木多道宏

大阪大学大学院工学研究科
大阪大学大学院工学研究科教授(建築•都市計画論領域)、博士(工学)、一級建築士。同大学大学院工学研究科建築工学専攻修士課程修了、株式会社日建設計、大阪大学工学部建築工学科助手等を経 て、2012年より現職。 専門分野は建築計画・都市デザイン。集落・都市・ニュータウンにおける「地域文脈」を継承した計画とまちづくり、アフリカにおける非正規市街地・スラムの改善、中東欧における都市形成・都市デザインなど。

あらゆる分野を総合する学問・建築学に惹かれて

#はじめに、木多先生の研究概要について伺いたいと思います。そもそもなぜ、建築という分野に興味をもたれたのですか?

#正直に言うと、大阪大学工学部建築工学科(当時)の大学案内の文章にだまされたというか、ほだされたというか(笑)。建築学は工学系のみならず、社会学や経済学、法学などの社会科学、哲学、デザインや芸術学など、あらゆる分野を総合する学問であるという文章に惹かれました。

私は完全に理系で、宇宙のことも生物のことも好きだったので、科学者になろうとずっと思っていたんです。
絵も好きでしたし、医学にもすごく興味があって「医者になろう」と思ったときもありました。建築学ならいろんな関心をすべて受け入れてくれそうな気がして選んだのですが、入学すると構造学や環境工学の授業がすごく多くて。特に、大阪大学ではこういったエンジニアリングの授業がすごく難しく、2年生の頃から徹底的にしごかれるんです。当時、環境工学は1〜4まであり、仲のいい友だちは環境工学を全部落としてしまい「1、2、3、4、フィニッシュだ」とか言っていましたけど。

#本当にフィニッシュしてしまうんですね。大阪の大学生が言いそう(笑)。木多先生はどうだったんですか?

木多道宏私はけっこうついていけて、一時期は構造力学の研究室に行こうかと考えたこともありました。

西村勇哉やってみると面白かったんですね。

木多道宏はい。もちろん、構造力学は非常に重要な技術であり学術ですが、3年生の夏休みにヨーロッパで建築を見た経験も影響して、いろんな視点で建築を考えたいと思いました。そこで、当時一番厳しいと言われていた計画学の研究室(現在の建築・都市計画論領域、木多先生の研究室)を選びました。

プラハ旧市街地における地域文脈調査にて。インタビュー後に家の屋根の上に案内してもらったそう。

プラハ旧市街地における地域文脈調査にて、インタビュー後に散歩する木多先生。

西村勇哉卒業後は、日本で一番大きな設計集団である日建設計に就職されましたね。いったんは設計のど真ん中で行こうとされていたのに、なぜまた大学に戻られたのですか?

木多道宏日建設計では、毎日終電とか深夜タクシーで帰宅する生活で、体が悲鳴をあげて入院してしまったんです。退院してから出社するまで少し時間があったので、ひさしぶりに恩師の家を訪ねたら「助手のポストがひとつ空いているから来ませんか」と誘っていただいて。「ぜひ、行かせてください」と、後先考えずに言ってしまいました。

西村勇哉入院中に退職を考えていたわけではなく、たまたま会いに行って誘われたから決めたということですね。でも、もともと「科学者になりたかった」と言われていましたし、大学で研究することには関心があったのでしょうか。

木多道宏そうですね。学生のときから、大学の教員はいいなと思っていましたし、企業に勤めるのではなく、ひとりマイペースで仕事をしたいという気持ちもずっとありました。でも、大学に入ってみると、大学にいないと仕事できないなと思います。ひとりでいきなり放り出されても、今はもう何もできないですね。

恩師から受け継いだ「構造的に考える」こと

西村勇哉大阪大学に戻られてからは、どんなことに取り組まれていたんですか?

木多道宏大学に戻ったのは1993年、29歳のときでした。私の恩師は紙野佳人先生という方なのですが、コンサル的にいろんなプロジェクトに関わっておられたので、最初はそのお手伝いをしていました。会社では建築設計をやってきたのに、いきなり都市のスケールになったのでどうしていいかわからなくて、「お前は私が言ったことしかやらないのか」ってよく怒られました。

西村勇哉まだ当時は「まちづくり」という言葉もあまり使われていなかったと思うのですが、分野で言うと都市設計だったのでしょうか。

木多道宏たしかに今ほど盛んではなかったのですが、大阪大学の鳴海邦碩先生が『景観からのまちづくり(学芸出版社、1988年)』を出されていて、当時はその本の影響も受けました。
 
紙野先生は、企業や行政からの仕事をそのまま引き受けるのではなく、「自主的に大阪を変える」という考え方の人でした。
たとえば、関経連(関西経済連合会)が中心になって取り組んでいた「地球環境関西フォーラム」で、紙野先生は都市環境部会の部会長をされていたのですが、エネルギー問題を技術だけではなく、都市構造として解決する方向を模索されていました。

出典:「水系を骨格とした関西都市圏の再編」地球環境関西フォーラム都市環境部会「環境首都関西」のデザイン(1994)

木多道宏人々は生活している郊外のベッドタウンと働いている都心の商業地、ベイエリアの工業地を、毎日往復するわけですから、ものすごいエネルギーを消費します。こうした都市構造は、社会学的な観点からも批判されていました。地域内に仕事がない郊外住宅地では、特に昼間は子どもを叱ったり、背中で語ったりする大人がいない。こうした郊外住宅地で非行が増え始めていて、1997年には神戸連続児童殺傷事件のような悲惨な事件も起きました。
 
「都市構造をどう変えたら、エネルギー問題を解決できるのか?」を考える紙野先生は、都市環境部会にいろんな専門家を集められました。
エネルギー、交通、ランドスケープ、緑地生態系、都市計画はもちろん紙野先生です。当時はまだ実験研究レベルだった、大地から地盤を浮かせる人工地盤で構造を免震化し、建築材料を減らすことに取り組む構造の専門家もいました。地球の資源を利用するうえでも、都市構造から何か提言できる可能性があると考えておられたのだと思います。

西村勇哉木多先生は、紙野先生からどんな考え方を受け継がれているのでしょうか。

木多道宏ひとつは、自発的・自主的に考えることです。正しいと思ったことについて自信をもって柱を立てて、たとえ「無理だ」と思うようなことであっても諦めないこと。自分の分野にこもらず、いろんな分野の人に積極的に声をかけて続けていくことです。もうひとつは、構造的にものごとを考えることです。技術的な解決だけに走らず、社会や空間、土地利用など構造的な本質から見ていかなければならない。紙野先生から受けた影響は本当にたくさんあります。なんか嬉しいです。先生の話をするのはひさしぶりなので。

杉本恭子「構造的にものごとを考える」とは、建築物だけではなく、地球環境までも含めて構造的に考えていくということでしょうか。

木多道宏そうですね。紙野先生は、関西都市圏を大阪湾から淡路島、徳島、香川のベイエリアをひとつの生態系・生活圏として捉えて、湾を中心とした大きな構造を考えようとされていました。

西村勇哉僕はまさに大阪郊外で育ちましたし、父は阪急電車で都心に仕事に行って深夜に帰ってくるという、ザ・サラリーマン家庭でした。僕が中学生だった1993年当時に、都市と構造を変えていこうとした人たちがいたのを知って嬉しいです。生態系というと、人と人以外のものとの関係性まで含まれてくる、それは今、まさに最先端の考え方ですから、そこまで考えられていたというのはすごくいいなと思います。

日々の暮らし、年ごとの祭りがつくる都市の「身体」

西村勇哉一般的に大阪大学工学部の建築工学というと、土木や環境という方向性だと思うのですが、木多先生は「地域文脈の解読」という柔らかい言葉を使っておられます。なぜ、このキーワードに至ったのですか?

木多道宏いろんな説明のしかたがあるのですが、今日ふと思ったのはやはり、オギュスタン・ベルクの『都市のコスモロジー 日・米・欧都市比較(講談社現代新書、1993年)』が、地域文脈的な発想に至った原因かもしれません。オギュスタン・ベルクはフランスの地理学者ですが、日本の都市文化をずっと研究していました。この本では、伊勢神宮で約1500年に渡って続いている、20年ごとにすべての社殿を造り替える式年遷宮の価値について考えています。

伊勢神宮

木多道宏ヨーロッパでは、世界遺産を指定するときも構造物が何百年以上にわたって維持されているかという、物質の古さという価値に重きを置きますが、日本人は行為を繰り返すことに価値を感じている。つまり、ヨーロッパは空間のなかの形に、日本人は時間のなかの形に価値を置くという違いがあります。そしてオギュスタン・ベルクは、直線的に進む時間のなかでずっと存在し続ける構造物を「空間のなかの形」、回帰する時間のなかで繰り返し立ち上がる構造物を「時間のなかの形」と呼びました。私はこの本を、15年くらい前に読んですごく影響を受けました。

西村勇哉ということは、大学に戻られてから10年以上経ってから読まれたということですね。

木多道宏そうですね。もうひとつ、京都大学名誉教授 上田篤先生による日本の建築文化の捉え方にも影響を受けました。たとえば東京の浅草寺は、江戸時代に何度も火事に遭い、そのたびに「前よりもっといいものを造ろう」と建て直すことを繰り返してきました。上田先生が、「都市の不燃化のために徹底して導入された鉄筋コンクリート造によって、こうした日本の建築文化が失われた」と書かれているのを読んだとき、オギュスタン・ベルクが指摘した「回帰する時間のなかで繰り返し立ち上がる構造物」とつながった気がしたんです。



東京・浅草の浅草寺

木多道宏私の研究室ではフィールドワークをよくやるので、学生のときから集落やまち、ニュータウンを歩き回っていたんですね。そのなかで、お祭りをずっと続けている地域にも取り組みました。何百年も続いている町や村は、過去に大地震や津波、大水害で何度も被災したはずです。なぜ元に戻るのかというと、日々の行為、年ごとの行事や祭りを繰り返すことによって、大切な都市のイメージの骨格をつくり上げていくからなんです。ある集落には、お盆に巨大なおばけ松明を墓地に向かって動かしていく行事がありました。ただ、松明の移動で道が傷んでしまうので、毎年行事の数日前から道を固めていくそうです。

「これだな」と思いました。
都市のイメージの骨格があると、災害で町や村が崩れてもまたつくり直せる。このイメージの骨格こそが、地域社会の「身体」だと気がついたんですね。地域社会には見えない「身体」があり、それこそがもう一度建築を建てさせるのだと思います。

「肉体」によって顕在化する空間に記録された「身体」

杉本恭子「身体」についてもう少し詳しく教えていただけますか?

木多道宏たとえば、部屋の一角に座って首を右から左に振ると、同じ方向に景色も流れますよね。この見え方を、アメリカの知覚心理学者 ジェームズ・ギブソンは「光学的流動」と呼び、自分の側ではなく景色の流れの側にある情報に注目しました。私は以前住んでいたマンションで、エレベータのボタンを押し間違えることがありました。でも、マンションの廊下は同じようにできているから、エレベータを降りていつも通り歩いてしまう。自宅の扉があるはずの場所が壁になっているのを見てやっと、階を間違えたことに気付いていたんですね。

私たちはふだん、部屋や廊下、景色なども含めた物的環境に身を置いて、そのなかでリラックスしたり落ち込んだりという気持ちとともに歩き回っている。
そういった行為を通して、自分自身の肉体と物的環境との間につくりあげるシステムを、私は「身体」と呼んでいます。

たとえば、子どもの頃に野球をしていた袋小路があるとします。
ホームベースはマンホール、1塁は電柱と決めて、ボールを打ち返すと友だちが1塁に送球する間に全力で走る。そういう感覚で、袋小路のなかに自分の身体的なシステムをつくりあげていきます。

木多道宏ところが、大人になってその袋小路に身を置くと、全力疾走したらあっという間にセーフになるような距離になっている。しかし、「袋小路は小さく閉じていて落ち着くな」と新たな可能性を感じたりします。そこで、フィードバックされた子どものときの身体システムを、大人の肉体でつくる身体システムにアップデートするという、いわゆる「ガリバー現象」が起きる。物的環境のなかに記録されている自分の「身体」が、明らかに存在していることに気づくわけです。

杉本恭子自分の肉体が記憶しているというよりは、物的環境のなかに「身体」が記録されているということですか?

木多道宏そうです。空間のなかに記録されている自分の「身体」が肉体によって顕在化する。そこに自分の肉体がなかったら、記録されている「身体」はダウンロードできないんですね。

杉本恭子つまり、ひとつの空間にはいろんな「身体」が記録されていて、それぞれの肉体にその人の身体がダウンロードされてくるというイメージでしょうか。

木多道宏そうですね。ふしぎなのは、他人であっても同じ体格であれば、その人の「身体」がフィードバックされてくる気がするんです。これは人間のすごい能力だなと思います。ギブソンは、私たちは環境から受ける刺激を静的に再構成しているのではなく、環境と動的に関係することで直接的に世界を知覚しているとする、生態学的知覚論を提唱しました。

自分の肉体の動き方は、外部環境の「見え」の変化のなかにあるというギブソンの考え方を、自分なりに発展させたのが、先ほどお話した身体論です。
こうして考えていくと、建築というのは「身体」をつくることでもあると言えそうです。今後は、フランスの哲学者・メルロー=ポンティや、彼が影響を受けたアンリ・ベルクソンの理論をしっかり勉強したうえで、もう一度ギブソンの考え方を理解しなおし、自分の身体論をもう一度しっかりつくりたいと思っています。

西村勇哉人間と空間の関係をすごく詳細に考えておられるのですが、「身体」という言葉で説明しようとすると漠然としてしまう気がしています。まだ、いい言語体系がないということでしょうか。

木多道宏そうそう、今は仮に「身体」という言葉を使っていますが、漠としてしまうんですよね。広辞苑的には「身体」は肉体だけでなく心や心情も含めたものとして定義されていますが、「肉体」のみの意味で使う人がいらっしゃいますから。ただやはり、自分が居場所にしているような空間では、「身体」をしっかりつくり上げているから、自分自身の何かが充満している感覚があると思うんですね。

高松・丸亀町商店街の再開発を支えた「目に見えない構造」

西村勇哉木多先生は、研究室のウェブサイトで、地域文脈について「私たちが直接体験する空間は、目に見えない社会組織、イメージ構造、経済的構造、地形・地盤によって支えられ、成立している概念だ」と書かれていました。地域文脈と、人々の関係のなかで行われる行為、たとえば経済的行為などとの関係についても伺ってみたいです。

木多道宏論文などを書くときは、「地域文脈は目に見える世界の背景にあるものだ」という説明をします。これを「背景の文脈」、もしくは「組織的な文脈」と呼んでいます。しかし、本来の「組織的な文脈」とは、「目に見えない大きな『身体』そのもの」です。それをを浮き彫りするために、社会組織、イメージ構造、経済的構造、地形・地盤といった見えないレイヤーの情報を集める必要があるのです。本当は理工系の論文でもこのように書きたいですね。

経済的構造が地域文脈として強く働いている事例として、高松の丸亀町商店街の再開発のお話をしたいと思います。
まず、全長470mの商店街をA~Gの7つの「街区」に分けて、街区Aから着手し、段階的に街区の再開発を進めています。

木多道宏元々、この商店街は、間口幅に合わせて商店街組合にお金を納めるので、けっこうな財源をもっていました。従来の東京的な再開発だと、ディベロッパーが1軒ずつ地権者を説得して地上げをして、土地を取得してから商業ビルをつくります。しかし、丸亀町商店街では先祖伝来の土地を手放すのは難しいということで、地権者が土地を所有したままで合同出資会社を設立し、ビルを建てて所有することにしました。ただ、そのビルの設計から管理・運営は、すべて新しく設立したまちづくり株式会社に委託するんです。

まちづくり株式会社は、商店街振興組合からの資金で、テナントリーシングに長けた人を東京から連れてくるので、おしゃれなテナントを入れて気の利いた店舗配置をして、販売促進も上手にやります。
テナントから得た収益は、経営に必要な費用を引いて地権者に配当。経営がうまくいっていれば配分が増えますから、地権者も意見を出して話し合える場も設けています。そして、画期的なのは所有権と利用権の分離を試みたことです。

杉本恭子土地を所有する権利と利用する権利を分けるということですか?

木多道宏そうです。日本では、地権者が利用権をもちますが、イギリスでは行政が公共的・公益的に必要な施設を整備したい場合は、民間の地権者から利用権だけを買い取ることができるんです。丸亀町商店街のケースでは、利用権と所有権を切り離すスキームをつくり、しかも地権者がリスクを負いながらビルの運用にも関心をもつような、社会経済システムを再構築したわけです。これは従来の地上げ方式の再開発とは正反対の考え方です。

木多道宏おしゃれなビルができて町が活気付いたという「目に見える世界」の背後に、地権者を尊重すると同時に新しい考え方を取り入れた社会経済システムをつくっている。つまり、良いまちをデザインするには、社会経済システムもデザインしなければ成功しないという事例だと思うんですね。これもひとつの地域文脈の考え方です。

まちのイノベーションには地域文脈が必要になる

西村勇哉なるほど、面白いですね。各街区の地権者の会社とまちづくり株式会社が二段階になっていて、それぞれが駆動するしくみがきれいだなと思います。また、まちづくり株式会社には、A〜Gまでの街区を再開発していくなかで、どんどん研鑽が積まれて知識資本が蓄積されるわけですね。

丸亀町商店街の事例では、地域文脈を支える構造としての経済的構造をつくられたわけですが、お祭りやそれ以外の構造が支えることもきっとある。
地域に流れる文脈を捉え、「都市を支える構造をどう変えれば良くなるのか」を考えていけば、ビルの建て方を細かく考える以上の結果が現れてくるのだと思いました。

木多道宏もうひとつ、丸亀町商店街の事例で、イノベーションという言葉も説明できます。今年度から始まる科学技術基本計画は「第6期科学技術・イノベーション基本計画」と名前が変わり、人文社会科学の知見も科学技術であると定義されています。つまり、社会・経済的な仕組みも「技術」であると考えられます。

では、丸亀町商店街の再開発を成功に導いた「技術」は何かというと、ちょうどA街区の再開発を議論している最中にできた定期借地制度なんです。
この制度によって、まちづくり株式会社は定期借地として土地を借りて、ビルを建てることができました。そして、シャッター街になっても「お金に困っていないから何もしなくていい」と思っていた地権者は、リスクを背負ってでも経営に参加したいという姿勢に変わりました。これは社会システムの変革だと思います。

高松丸亀町商店街再開発にみる科学技術と社会システムの統合(提供:木多先生)

木多道宏第5期科学技術基本計画におけるSociety 5.0がイメージしていたのは、科学技術だけのリニアモデルではなく、科学技術と社会システムが同時に変わるというもので、私は統合モデルと呼んでいます。丸亀町商店街では、社会システムの変革と定期借地制度という技術の変革が統合的に起きて、土地の所有権と利用権を分離させるというイノベーションが起きました。

なぜ、それが起きたかというと、商店街の人たちにすごくたくさんインタビューをしたんです。
すると、「ものをつくる技術はしっかりと維持しながらも、時代に合わせて業態を変えていかないと生き残れない」という先祖の教えを大事にしていることがわかりました。様々な創意工夫を重ねながら、その都度形や技術を変えてでも過去からの大切な考え方や思想を受け継いてきた物語の価値を「連鎖的な文脈」と呼んでいます。地域文脈の空間的・身体的な側面が先ほどお話しした「組織的な文脈」であり、時間的・精神的な側面が「連鎖的な文脈」です。この先祖伝来の「連鎖的な文脈」が、新しい業態のアイデアをもっているまちづくり会社につながっています。だから、まちのイノベーションには地域文脈が必要なんです。

西村勇哉丸亀町商店街では、商店街の人たちを主体として社会システムが変革されました。もし、その主体がディベロッパーだったら、まったく異なる社会システムが生まれていただろうと思います。下手をすると地域の文脈が切り捨てられてしまって、気がついたら地域の人たちが望まないまちづくりになってしまう。そうではなく、地域の主体となる人たちの目線で、地域に受け継がれてきた文脈に沿って、そこに必要な技術を掛け合わせていくという順番で進められたら、より良いまちづくりができるのかなと思います。

戦後に分断された、社会と空間の相互浸透的な関係

西村勇哉丸亀町商店街の事例の対比として、土木・構造物を中心とする近代以降の都市開発のなかで、失ってしまったものについて伺っておきたいです。

木多道宏近代以前には、道路や橋、建築物にしても、人間の社会と構造物には相互浸透的な関係がまだあったと思うんです。寄り合いや会議を開いて話し合いながら「次はあっちの方向に道を伸ばそう」「あそこに建物をつくろう」と、その都度まちの人たちが地形や景観を精一杯考えて、当時の耐震技術などを駆使してつくっていた。それが、ヨーロッパの旧市街や日本の在郷町、寺内町といった中世から存在する町であり、本来の都市の姿でもあったと思います。

しかし、戦後の経済成長のなかで顕在化したのは、流通・交通のための道路や、大都市に流入する人口を住まわせる大規模住宅を、一挙につくるという都市開発です。
まずは道路をつくり、道路に沿って建物が張り付くように建てられていく。あるいは、住宅ディベロッパーは分譲マンションを建てて売るところまでを仕事としていたので、誰が住むのか全然知らない建物が増えていく。

木多道宏建造する側が一挙につくってしまって、人はあとから来たらいいという考え方が、一番大きい問題だったと思います。それによって、ひとつのコミュニティで構造物をつくっていく社会から、社会と構造物の関係が完全に分断された社会へと変わっていってしまいました。

土地の維持管理についても、戦前までは基本的に共同体で行われていて、私有地に新しい建物をつくるときであっても、地権者は村や町に相談していたと思います。
戦後の経済成長期には都市計画法や建築基準法による道路斜線制限、用途地域規制などがありましたが、生活環境の質を維持し良くするという点では全く無力でした。基本的には地権者が自分の所有地に好き勝手に建てられるという時代が長く続きすぎたと思うのです。

杉本恭子改めて、戦後の都市開発のあり方を聞いていくと、地域で暮らす人にとっては非常にしんどい状況がつくられていったのだと気付かされます。

木多道宏本来の近代都市計画は、戦後の都市開発とは全然違っていました。イギリスに、近代都市計画の祖といわれるエベネザー​​・ハワードとパトリック・ゲデスという人がいます。

ゲデスが目指したのは、生命を維持する町の改善でした。
彼は、インドのニューデリー首都計画委員会に招かれたとき、「スラムを壊してはいけない」と主張するんです。むしろ、路地をつなぎ直して流動性を良くすれば、経済的にも改善し人々の暮らしは安定すると考えて、「保存的外科手術」という都市計画手法を提唱しました。

またゲネスは、生命体としての町や都市の進化を助けるために、医者のように常に診断し続ける、科学的な分析をする必要があると考えました。
そして、市民を主体とした社会学的な調査の重要性を説き、市民が自ら町を診断・分析する組織をつくり、「どのように発展するのか」を常に考えていくという、持続的な都市の変化を構想したんです。

ハワードは、工業化と過密化によって環境が悪化したロンドンの郊外に、数万人規模の職住近接型の都市を建設する「田園都市論」を提唱しました。
田園都市の運営は、住民や事業者が出資して設立する半公営的な企業が行い、住民自身が共同施設の整備や維持に関わることを原則としたんですね。それは、中世からの地域共同体の仕組みを意識しているのだと思います。

ハワードが初めて取り組んだ田園都市・レッチワース。英国初の環状交差点がつくられた

木多道宏「近代都市計画」というと、戦後の都市開発を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、本来の近代都市計画は、中世から近世にかけて維持されてきた社会を重んじながら、新しい技術を組み合わせて統合させていくものです。

杉本恭子戦後の経済合理主義的な都市開発は、少しずつ修正されていく流れにあるのでしょうか。

木多道宏両極化していると思います。保全的なまちづくりは定着し、世界中に取り組み事例は増えています。一方で、グローバル経済によって新自由主義が進み、社会と空間が分断される動きも加速しています。特に、アフリカの大都市では公共事業としてやるべきことを、民間主導でやる潮流が極端に進んでいます。

日本では1990年代、2000年代に規制緩和が進んだことで、都市開発がますます巨大化した感があります。
2002年には緊急都市再生整備地域が定められ、結果的に民間企業による開発にとてつもない容積のボーナスが与ええられることになしました。グローバル経済のなかで都市間競争に勝つために行われる都市開発は、大切な何かを守り育もうとする人たちにとっては手が出せないスケールのものになっています。

アフリカ、ガーナ・アクラ伝統地区開発担当チーフに就任した木多先生。まちを挙げて就任式の祭礼が行われた。キングとクイーンへの誓いのシーン。

ガーナ・アクラ伝統地区開発担当チーフへの就任式にて、式典後にキングとクイーンとともに記念撮影する木多先生。

就任式から数日後、子どもを対象としたお絵かきワークショップを開催する木多先生。

街路を走り抜けるだんじりが新しい町に命を吹き込む

木多道宏木多 最近、別の問題も生じています。こうした大規模都市開発が「歴史を尊重している」という看板を掲げることです。例えば、「江戸時代の歴史的な庭園を残した」と言いながらも、地域文脈を生かしていない「オブジェクト」になっているものもあります。

江戸時代の武家屋敷は、丘陵の尾根に沿った街道に門を構え、その奥に屋敷を建てていました。
さらに奥側の斜面の緑を維持し、一番低いところに湧水を利用した池をつくり、立派な庭園にしていました。このように地形に対応した屋敷構えがあり、それが集合して都市空間をつくるのです。庭園は武家の理想とする住まいのイメージ構造や地形の生かし方の文脈のうえに成立していたのですが、「歴史的な庭園」が土地や社会から切り取られてしまうと、看板だけになってしまう可能性があります。

西村勇哉地理的な条件に沿ってつくられた町は、何かあっても復元できるという意味で強固なんですね。

学校では歴史と地理を別々に学びますが、木多先生のお話を伺っていると、地理の上に歴史があり、その間に人々の暮らしがあって、結果として町や構造物があるということだと思います。
たとえば、今の東京は大震災で崩れると同じ町をつくれないんじゃないでしょうか。

木多道宏おっしゃる通りですね。1923年に発生した関東大震災の復興では、土地区画整理という手法で都市の大改造が行われました。地権者が減歩率に基づいて差し出した土地を使って、道路の新設や拡張をしたり、公園をつくったりしたんです。地権者は土地が減っても、新しい道ができると地価が上がるので納得できるというわけです。

こうして、江戸の街路システムは近代的な道路システムに造り替えられていきました。
現在の東京にある環状道路は、関東大震災からの復興で造られたもの。でも、地権者は元の土地に残り続けるので、氏神さまのお祭りは続けることができたんですね。新しくなった街路をだんじりが走り抜けることによって、また町に命が吹き込まれていったのだと思います。

杉本恭子東京で暮らしていた頃、渋谷の宮益商店街に宮益御獄神社の例大祭の提灯がかかっているのを見て、こんな都心に祭りが残っていることに驚きました。

木多道宏ふしぎですけども、東京って生きた感じがするんですよね。神田のあたりを歩いていると、現代的なビルが建て詰まっているのですが、本当に生きているなと思います。土地が生かされ、お祭りが続いていることによって、震災復興や戦災復興で造られた新しい道路システムに合わせて、人々が生きた「身体」を更新し続けてきた感じがします。

西村勇哉今日のお話でだんだんつながってきたのですが、建物や道で捉えようとすると町が身体化されないんだと思います。

僕は今、滋賀・大津に住んでいるのですが、前の家は大津祭の曳山行事の出発地点の真ん前だったので、毎年13基の曳山がずらっと並ぶところを見ていました。
曳山から投げられる粽(ちまき)をもらおうと追いかけていくと、なんとなく「あの町は子どもに優しいな」というふうに町の姿が見えてくるんです。「曳山を追いかけて町を練り歩く」という行為から入ると町が身体化される。すごく面白いなと思います。

一方で、地理的条件や地域文脈を無視して経済的合理性を優先したまちは、町が身体化されていかないからじわじわ弱くなっていく。
いったん崩れてしまうと、地理的条件や人々の記憶から読み取れなくなってしまうという脆弱さがあるんだなと思いました。

時間と空間の概念がテクノロジーの進化の鍵を握っている

西村勇哉未来を考えるというと、新しいテクノロジーにあふれた社会を想像しがちだなと思います。でも、目に見えないものへの深い理解が進むと、テクノロジーの使われ方にもフィードバックが起きるんじゃないかと思います。もしかすると、テクノロジー中心的な考え方ではない使われ方をする可能性が出てくるのではないでしょうか。今、そういった可能性が現れてきているのかどうか、木多先生のお考えを伺いたいと思います。

木多道宏何らかの理由で視覚や聴覚が限定されていたり、移動できない方は、私が想像できな空間や時間の感覚をおもちだと思うんです。そういった方々とコラボレーションできたらいいなと考えています。お祭りがそうであるように、一緒に身体をつくる作業をしていくのはすごく大事だと思いますので、そういったところにテクノロジーが役立つかもしれません。

たとえば、神経や感覚を介して広場や路地があるバーチャルスペースにウォークインする技術が開発されれば、想像ができないようなまちづくりやアートが生まれると思います。


やはり、私たちは時間と空間をかなり固定的に考えてしまっている気がします。
もともと統合されたものだった時間と空間を切り分けたのは人間ですから、違う切り分け方もできると思っています。いろんな科学技術の進歩が頭打ちになったとしても、そこで論理的に時間と空間の概念を一新してしまえたら、影響を与えられるかもしれません。

西村勇哉今日のお話で伺った地域文脈は、まさに時間と空間が相互作用しているということだったと思います。そこを切り離してみたいという興味関心は、どういった背景から生まれてきたのですか?

木多道宏アメリカの都市研究者 ケヴィン・リンチの『時間の中の都市―内部の時間と外部の時間(‎鹿島出版会、2010年)』だったと思うのですが、他地域と交わらず独立して暮らしていたアフリカのある民族の人たちは、過去から未来に向かう一直線の時間概念がないんです。あるのは「決まっていること」と「決まっていないこと」で、過去にも決まっていないことがあり、未来にも決まっていることがあるという感覚ですね。



杉本恭子私たちは時計で測って、時間は一定の速さで過ぎるものだと考え、過去は動かせず未来はわからないと思っているけれど、まったく違う時間感覚をもつ社会もある。つまり、今の時間と空間の感覚が「絶対」とは言い切れないということですね。木多先生の「身体」の概念が確立されたときに、もしかすると社会の側が変わっていく可能性もありそうです。

西村勇哉大学院の研究でテーマにしていた「転機」はすごく面白い概念で。事件や事故、卒業や結婚などがわかりやすく転機になり得るのですが、一方で「日常的転機」という概念もあります。「面白い人に会った」「本を読んだ」という日常的なものごとが、自分のものの見方や価値観に影響を与えることがありますよね。それは、事象が転機たりうる状況を生み出しているのではなく、主体が転機として事象に意味づけをしているわけです。どちら側に主があるかというと、自分の感覚や心的な主体のほうなんですね。

さきほどの時間の話もまた、自分の感覚や心的な主体を思いっきり主にしてみるという話だなと思います。
「一定の速度で過去から未来へと進む」という時間概念を共有しているという前提を手放して、ある集団において「決まっていること/決まっていないこと」だけがあるという時間概念を共有するとものの見方が変わる世界があるということなのかなと思います。

もともと、日々の暮らしを支えるうえでは、みんなの時計の針が少々ずれていても困らなかったはずです。
それが揃えられたときから、あたかも絶対時間があるようになってしまったのですが、実は暮らしのなかにはそういうものはないということかなと思いました。もっと一人ひとりの感覚みたいなところに戻っていくと、目に見えないけれども、この世界には全然違う実態があるんじゃないかと思って聞いていました。

木多道宏先ほどお話しした通り、地域文脈は、空間的な側面と時間的な側面から読み取ることができます。空間的な側面は「大きな身体」であり「組織的な文脈」ですね。それを見つけるために、社会、経済、地形・地盤などの仮の文脈を解いていきます。時間的な側面は、中世から近現代、未来に至るまで、それぞれの地域には普遍のテーマがあり、解いてきた課題があると思います。その努力や創意工夫が持続されてきた価値を「連鎖的な文脈」と呼んでいます。

そういったことに取り組んでいると、過去の人と同時に存在する気がしますね。
まちづくりに関わっているときなどは、昔の人と地域のテーマを共有している感じがするんです。そのときは時間的な距離がなくなったりします。心の世界では距離は関係ありません。このふしぎな感覚を、科学技術の世界にも取り入れてほしいという感じがしますね。

西村勇哉今おっしゃったような感覚で新しいテクノロジーを使うと、全く違ったバーチャルリアリティ体験ができるかもしれないということですね。

木多道宏心的構造の世界にはどういう幾何学があるんだろうと思います。地理学も建築学も、ユークリッド的な三次元にどっぷり浸かっています。だけど、数学がもっている空間は、物理的な構造に囲まれた空間ではなく、全然違う原理でできている。おそらく、心的構造の世界の空間も、全然違う構造をしているような気がしています。

西村勇哉その話は、個人的にもすごく興味があります。今度、木多先生と考えてみたいことをまた改めてお伝えさせて下さい。今日はありがとうございました。

たとえば自分で暮らしている部屋だと、明かりをつけなくてもぶつからずに歩くことができたり、かつて暮らしたまちの最寄り駅で思わず降りそうになったり。それは、自分の「体が記憶している」と感じていたのですが、「空間に記録されている『身体』が肉体にダウンロードされてくる」という木多先生のお話に、ハッとさせられました。ついつい、人間は人間同士、あるいは生物との関係を結ぶことに注目しがちですが、モノや空間とも相互的に関係しているという感覚をもってみると、意外なくらい「しっくりくる」と思えたのです。

戦後の経済成長のなかで、地域文脈を含む、この世界を支える「目に見えないもの」がなぎ倒されていく時代が続きました。そのことは、現代の生きづらさともつながっているのだろうと思います。土地の歴史、コミュニティのあり方、生きやすさを伴う経済構造など、近代の都市計画が目指したようなまちをつくるには、西村さんが言うように「もっと一人ひとりの感覚みたいなものに戻っていく」ことが、すごく大事なのではないかと思います。

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他のユーザーからのコメント

Iwai
2021年09月22日
身体性から「時間と空間」に関する新しい概念の創造という大きなテーマへ。そこに科学の未来があるという予感。
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筒井
2021年10月07日
一人ひとり違う時間の流れを生きることを選択できる、そして時間の流れと空間を感じ、インプット・アウトプットをすることが出来る感性を取り戻す。その大切さをこの記事は考えさせてくるように思います。多くの方に読んでもらいたい記事です。
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丸山
2021年12月02日
懐かしい町を訪れて歩いた時に感じた不思議な感覚、広かったはずの道がなんとも狭く感じたことや、ケンカをした辛さ、友達と探検したワクワク感など、数え切れない思い出が一気に押し寄せた時のことを思い出しました。 私の中では、その場所に記録されているシーンの中に一つずつ(あるいは同じ場所に関連付いた複数の思い出に同時に)入っていくようなそんな感覚でしたが、木多先生が論理的に説明されている内容が、しっくりと私の中で馴染んで理解されるのを感じました。 同じ場所に多数の人たちが各々の記憶を持っていて、そこを訪れた時にそういった記憶(身体)がダウンロードされると考えると、存在する場所への愛着もより強くなる気がしました。 新しいものの見方を知ることがで、嬉しいです。そして多くの人にこの記事を紹介したいと感じました。
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中村
5時間前
戦後経済は、多様な身体性や地域の文脈に左右されない一律な「都市化」を突き進むことで高度経済成長を実現してきた。その結果、他方で通勤混雑、自然災害に対して脆弱なシステム、画一化の軋みによるイジメ、精神病や自殺の増加に繋がってきたように思う。 今、モノが満たされ、通信技術の発展により、新たに多様な人間性を取り戻す逆都市化が進み始めているのではないか。 コロナによって、中々変わらなかった価値観に地殻変動がおこされつつあることで、中々活かしきれていなかった今の最新技術による新たな生態系的関係性の再構築が実現できるのではないか、と感じています。
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