
大事なことはSFアニメが教えてくれた。 人工臓器開発を支える「子ども心」の効用
横浜市立大学で細胞ベースの人工臓器の開発に取り組む准教授・小島伸彦さん。生体の機能や構造を備えたミニチュア臓器の研究や肝臓移植に代わる「液体肝臓」を開発するプロジェクトを立ち上げるなど、自由な発想でユニークかつ精力的に活動されています。
その感性の源流には、『機動戦士ガンダム』や『攻殻機動隊』などの優れたSF作品からの影響がありました。
小島 伸彦
横浜市立大学アニメが学問と子どもの世界をつないでくれた
小島先生は1992年に大阪大学の工学部 応用生物工学科に入学されて、大学院、博士課程と進まれますが、そもそも、なぜこの分野だったのですか。
多くの人がそうであるように、将来どういう分野に進むのかは私も高校生辺りまでハッキリしていませんでした。ただ、遡ると幼稚園や小学生の頃から「将来は科学者になりたい」という気持ちは、漠然と持っていました。
西村勇哉それは、何かの影響があるのでしょうか。
小島伸彦完全にテレビや子ども向けメディアの影響ですね。その頃観ていた『ウルトラマン』や『マジンガーZ』などの特撮やロボットアニメには大体、主人公をサポートするような存在として博士が出てきますよね。例えば、ウルトラマンの最終回では、科学者がつくった武器でゼットンを倒す。そういうものを見て、「科学者はすごい技術をもたらす存在なんだな」と憧れていました。
「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」図録〈愛蔵版〉
西村勇哉ちょうど、今日小包が届いて。ガンダムのプロデューサーをしている知人からシド・ミードの作品集を頂いたんですよ。僕は小島先生よりひとつぐらい世代が下なんですけど。改めて見て未来感がすごいなと思いました。25年くらい前のものだと思いますが、今のものと比べても全然負けていない。やっぱり、こういったアニメーションや映画は、小難しく考えなくても未来への可能性を思わせてくれる。すごく価値があるなと思っていたところでした。
小島伸彦やはりガンダムはひとつの大きなトピックでした。考証に基づいて設定がつくり込まれていましたから、子どもながらに「そんな考えがあるのか」と夢中になって観ていたのを思い出します。例えば、宇宙船が破損したとき、どこに穴が開いているかなんてわからないと思いますが、ガンダムではシャボン玉を出して、空気の流れで吸い込まれてペチャッと潰れて穴を塞ぐんですね。それは、自転車のタイヤのパンクを水に浸して、どこに穴が空いてるかを探ることと通じています。穴を一生懸命見つけるのではなくて、空気の性質を利用するみたいな。そういう大人の現実的な知恵をガンダムの中に感じていました。
西村勇哉最近知ったことですが、初期のガンダムに出てくる「ミノフスキー粒子」は、監督が、本来後ろ向きに進まない設定のホワイトベースを後退させてしまったことから生まれたそうですね。設定考証のスタッフが一生懸命整合性のある理論として考えたという。これも、すごく面白いなと。
小島伸彦SFですからつくり物の世界ではあるけれど、その理論は一生懸命考えてある。そういう粒子が存在すると、こういうことができると、仮説を見せてくれる。世の中を変えるようなブレイクスルーには、大きな原理のような発見が必要だということを子どもながらに理解するわけです。
西村勇哉そうすると、作品自体もそうですが、背景にある設定や仕組みのようなことに関心があったというわけですね。
小島伸彦そうですね。SFアニメに登場する戦艦は、何かしら空想上の技術によるエンジンを搭載しているので、どういう意味なのかを友人と一緒になって調べていました。もちろん、架空の技術なので調べてもわかりません。しかし、技術というものが必要に応じて独創的な理論をもつ科学者・技術者によって変化・進化していくことを理解できました。そういう難しい、でもわくわくする学問の世界と子どもの世界をつなぐような役目をアニメがしてくれていて、そこに私はうまく乗って導いてもらったように感じています。
ターミネーターならつくれるかもしれない
西村勇哉小島先生は、大阪大学の工学部の応用生物工学科に進学されるわけですが、機械工学ではなくて応用生物というバイオの方に行かれた背景についても少し伺えますか。
小島伸彦はい。ガンダムなどの影響で、ロボットは好きでしたが、プラモデルを作るくらいで満足していました(笑)。自分にはロボットを本格的につくるセンスはないと何故か思っていたんです。競争相手も多そうだし、物理や数学もあまり得意ではありませんでした。また、ネジ一本まで気を使うような作り方ではなく、もっと楽に作れないかということは考えていました。
ロボットものと同じく、サイボーグものも好きだったのですが、中学生のときでしょうか、映画『ターミネーター』を観て、この半分機械、半分生体というサイボーグなら作れるかもしれないと感じました。機械の部分はともかく、生体の部分は大雑把でも作れるのではないかと。なぜなら我々の体も、ある程度は勝手に作られて、自然と維持できているわけですから。ただ、他の作品も含めて、生体(類似)組織をどうやって作れば良いか、その手順を具体的に表現した作品には出会っていませんでした。
そんな中で、高校生のときに読んだ『攻殻機動隊』(作:士郎正宗)には大変驚きました。登場するサイボーグは脳と脊髄以外は完全に機械化されているという設定ですが、神経の通った皮膚の作り方などが具体的に描かれていました。マイクロマシンを使った自己組織化的な工程が、とてもリアルで生物学的でもあると感じました。また、コミック版は作者の注釈が多いことでも知られていますが、そこには「完全機械化サイボーグが実現するかどうか極めて疑問」とありました。筋肉などは機械的に置き換えられますが、肝臓や内分泌系などはどうやって人工器官化するか見当もつかないと。
今でも肝臓や内分泌系を完全に機械化することは難しい。肝臓の代謝機能を人工的に再現するのに東京ドームの規模で装置が必要だとも言われていますから。それなら「細胞をそのままを使って臓器をつくればいいんじゃないか」ということを考えていました。
『攻殻機動隊』(講談社)
西村勇哉すでに高校生で、生物工学をやる意思があったと。
小島伸彦そうですね。ただ、インターネットもまだありませんでしたし、どこの大学に行けばそれを学べるのか、調べる術がありませんでした。大阪大学工学部の応用生物工学科に進みましたが、この学科の名称で受験したのは我々の学年が初めてです。それ以前は発酵工学科、その前は醸造工学科という名称でした。卒業生には、朝の連続テレビドラマ小説『マッサン』に出てきたマッサン(ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝氏)がいます。
つまり、昔は酒蔵の杜氏(とうじ)の息子が学びに来るような学科だったんです。たまたま応用生物工学科という名前になったのですが、発酵工学科のままだったら受験していなかったかもしれません。生物工学という言葉に「もしかして、ここなら何か臓器的なことが学べるかもしれない」と期待し、完全なる先入観だけで受験しました。すると、実力的にもふさわしくない偏差値の高さだったのに、奇跡的に受かってしまい(笑)、さらにハイブリッド人工肝臓を研究している先生までいらしたので、非常に驚きました。まだ肝臓そのものをつくるような発想や技術が一般的ではなく、再生医療という言葉もなかった頃です。
西村勇哉それは、すごくラッキーでしたね。
小島伸彦本当にそうだと思います。「細胞ベースの人工臓器をつくってみたい」と、妄想していた世界にそのまま真っすぐ入ることができたのですから。
ハイブリッド人工肝臓とは、細胞を接着させるための足場となるスポンジ状の担体(スキャフォールド)に、ブタなどから取ってきた細胞を接着させて、筒状の容器に詰めたものです。劇症肝炎の患者さんが移植用の肝臓を待つ間、あるいは肝臓が再生するのを待つ間、急場を凌ぐために一時的に体外で灌流するという使い方をします。つまり、完全に体内に埋め込んで一生使うようなものではありません。このある意味現実的な発想は、これまで観てきたアニメの非常にリアルな設定などと近いものがあるんですよ。まさに私がイメージしているようなことができると思いました。
西村勇哉面白いですね。僕は同じ大阪大の吹田キャンパスの人間科学研究科にいて、本当はそこで学ぶはずだった先生が異動になり、たまたま来た先生と出会ったことで全然違う、心理学方面に行きました。そういう偶然は必然だと感じますね。
地球上でたったひとつの研究室に運命的に辿り着く
西村勇哉小島先生は、応用生物工学科のあと応用生物工学専攻で修士を終えて、東大の博士課程に移られていますが、どんな研究に取り組まれたんですか?
学部〜修士時代に取り組んでいたハイブリッド人工肝臓のコンセプト。
多孔質ビーズの内外に肝細胞を接着させて、筒状の容器に充填して使用する。培地や血漿は、ビーズ内ではゆっくりと流れるが、ビーズ間では速く流れるため、容器の下部に存在する細胞にも酸素や栄養が行き渡るという設計。
小島伸彦阪大の応用生物工学科ではバイオ人工肝臓について学部から修士まで研究しました。例えば、劇症肝炎患者は、血中アンモニア濃度が高くなることで昏睡し亡くなるわけですが、そのアンモニア濃度を下げることができるかどうかの検証をしました。どれくらいの細胞数があれば、どれくらいの速さでアンモニアが代謝されるのかという速度論的な検証です。
肝臓のがん細胞をスポンジ状の足場で培養するところから始まりました。無限に増殖するがん肝細胞は肝臓の機能が低いので、途中から生きているラットから採取した初代培養肝細胞を使った実験に移りました。ところが肝細胞を体外に取り出して培養すると、肝臓の機能に関する遺伝子のスイッチがオフになってしまい、細胞は生きていてもアンモニアの代謝能力が1週間くらいで落ちてしまうんです。
一方で、当時発生生物学の分野では、ツメガエルの胚から取り出したアニマルキャップを、濃度を変えたアクチビンという液性因子に浸すだけで、心臓や肝臓など様々な臓器に分化することがわかってきていました。これは、肝臓に限らず、様々な臓器や組織をつくっていくための遺伝子群の発現を、オンにするための具体的な方法があるということです。そこで、遺伝子の発現制御がどのようになっているのかを学びたいと思うようになりました。そうすれば、オフになっている遺伝子をオンにできるかもしれません。
当初は肝臓に限らず、どんな臓器、組織でもよいと考えていました。なかなか自分の目的にぴったり合致した研究室はないと思っていたからです。しかし、結果的にはまさに自分が研究したいテーマを学べる研究室に所属することができ、博士課程では東京大学大学院の理学系研究科で、未分化な肝細胞が機能的に成熟していくためのメカニズムについて研究を行いました。
西村勇哉工学部から理学部というのは、全然分野が違います。
小島伸彦はたから見れば、全然違うかもしれませんが、肝臓の機能を、試験管の中で発揮させるという意味では、私の中で完全につながっていたんですよ。偶然なんですが、東大の宮島篤先生の研究室に辿り着き、肝臓の発生のメカニズムを勉強させてもらうことになりました。
西村勇哉どうやって出会われたんですか?
小島伸彦これは言っていいことかどうかわかりませんが、アポなしで行ったんですよ(笑)。本当は、東大にいる先輩のツテでいくつか研究室を訪問をさせてもらうことになっていたんですが、東京に1日早く行くことにして。当時テレビで流行っていた『進め!電波少年』にアポなしで要人に会いに行くという企画があったじゃないですか。それをやってみたんですね。
西村勇哉ありましたね。勝手にやってみたんですね?
小島伸彦東大がどこにあるかも調べないまま、夜行バスで東京に向かいました。八重洲口で地図を開いたら、「東大前駅」というのがあるぞと。ちょうど地下鉄の南北線が開通した直後でした。駅名を頼りに東大本郷キャンパスに辿り着きましたが、南北線がなかったら駒場東大前に向かっていたかもしれません。
西村勇哉南北線だと、農学部の前に出ますね。
小島伸彦そうなんです。それで農学部の正門から入ってすぐにある構内図を見たところ、分子細胞生物学研究所(現東京大学定量生命科学研究所)という見覚えのある文字が目に留まりました、実はこの研究所はもともと応用微生物研究所という名称で、発酵工学科とも縁のある研究所でした。なので世情に疎い私でも知っていたのです。さっそく事務に行って研究所のパンフレットをもらいました。すると「遺伝子から個体まで」と目を引く言葉が書かれた研究室があったので、すぐに農学部3号館の前にある公衆電話から電話をかけて見学を頼み込んだんです。秘書の方に「いつですか?」と聞かれて、「今、目の前にいます」と言うと、「……ちょっと待って下さいね」とおっしゃって(笑)。普通そこで断られてもおかしくないと思いますが、教授が不在ということで助手の先生が出てきてくれました。
実は、私が訪問したタイミングというのは、宮島研究室で、胎児の未分化な肝臓の細胞を分化させる液性因子として、オンコスタチンMというサイトカインが同定された直後でした。特許を取れるような研究だからと極秘裏に進めていたところに、人工肝臓をやっている学生がふらっと現れたので、「君はどこからこの話を聞いたんだ」と、すごく問い詰められました。
西村勇哉すごいですね。何も知らずに行ったんですけど、向こうからしたらなぜこんなドンピシャな人が来たんだと。
小島伸彦そうです。それで2時間ぐらい詰問されたんですが、夜行バスで八重洲口に着いて、地図を見て東大前駅をみつけて……と繰り返し説明したところ、「どうもこいつはただのバカらしい」と、本当に偶然来たことをわかっていただけました(笑)。そして、翌日に宮島先生が研究室に来られるからと、先生と話す段取りをつけていただきました。
宮島先生は研究やその方法論についていろいろなお話を丁寧にしてくださったあと、「こういう技術をハイブリッド人工肝臓みたいなものに使えるといいと思っているんだ」と夢を語ってくれたんです。それを聞いて「もうここしかない」と思いました。「先生、入学試験は頑張って通るので来年からよろしくお願いします」と言って別れました。
あとから考えてみると、当時、肝臓の発生を制御する液性因子の研究を行っていたのは東大の宮島先生の研究室と、米国のKen Zaret先生の研究室、2箇所だけでした。しかも私が興味をもっていた、肝臓が代謝機能を獲得していくステップについての研究を行っていたのは地球上で宮島研究室しかなかったんですね。その研究室に東大の場所もわからない学生が辿り着いていること自体、驚きです。
東京大学宮島篤研究室のメンバーと(2001年)
西村勇哉すごいですね。なんかもう、駅名を考えた人が偉いですね。
小島伸彦そういうことですよ。別の名前だったら、本郷キャンパスには辿り着けてないと思います(笑)。
西村勇哉みんな良い人でしたね。パンフレットをくださったり、話を聞いてくださった助手の方だったり。どこかひとつでもダメなら、途絶えている。当時はそういうことが許されるおおらかな時代だったんですね。
臓器づくりは、ひとつの専門だけでは足りない
西村勇哉そして、東大のあとはカリフォルニア大学(UCLA)に。しかも医学部で研究員を務められています。工学部、理学部、医学部と、どんどん新しい展開を見せているんですが、医学部に行くのは、やはり応用に進めていくためですか。
小島伸彦というよりも、いち研究者として「海外で2〜3年頑張らないといけない」と思い込んでいたんですね。宮島先生たちが留学されていた頃は、最新の技術は欧米にあったので、留学しないとよい研究ができないとか、技術を持って帰ってくることが使命とか、そういう時代でした。でも、だんだんそういう時代ではなくなっています。今では日本の方が環境的に整っていたり、研究が進んでいたりする場合もあります。すでに当時も、必ずしも留学しなければならないという感じではありませんでした。しかし、宮島研究室には留学に果敢に挑戦するという雰囲気が残っていました。お給料が低くて大変なのに留学して生き延びて、そして日本にポストを見つけて研究者として帰ってくる。留学先でどうにもならなくなる人もいるのです。
西村勇哉もう一度東大に帰って来れるかどうかはわからないと。
小島伸彦そうです。当時私は宮島先生の口添えもあり、東大の生産技術研究所に移り、パーマネント(任期なし)の助手(助教)というポジションにいました。もしかすると宮島先生は私が留学するのは危ないと思って、そのような安定したポジションにつけてくれたのかもしれません。しかし、私は先輩や同級生に比べて自分だけ「ぬくぬく」としているのは嫌だったんです。やっぱりそのリスクにチャレンジしておかないと絶対後悔すると思っていましたし、そうしなければ留学して生きて帰って来た人たちに向き合えないと思い込んでいました。もちろん不安もありましたが、やっぱり挑戦してみようと思い、ある先生の勧めで国際幹細胞学会(ISSCR)のウェブサイトにあるジョブバンクに登録したんですよ。すると、1件だけ問い合わせがありました。
当然、宮島先生からは、留学しなくてもいいのではないかと反対されましたが、その反対を押し切る形で、大学を辞めて渡米しました。もう本当に小さい無名のラボでしたけど、実はギャラもよく(笑)、人間的にも素晴らしいボスに巡り合えました。ロサンゼルスの空港に着いたら、BMWで迎えに来てくれて。アパートの交渉や家具を買いに行くのも全部一緒にまわってくれました。
西村勇哉結構、年配の方だったんですか?
小島伸彦そうですね。ヤナガワノリモト先生という方で、台湾出身の方なのですが、高校、大学と日本で過ごされ、日本に大変深い思い入れがあっていまでも日本語の名前を使われています。退役軍人病院の医師として、医療に従事しながら研究もされている先生でした。そのラボを閉めてそろそろ退職という時期に山中伸弥先生のiPS細胞の論文が出たのです。山中先生の研究に大変感銘を受けられて、もうひと頑張りしようと決意をされたんですね。それで新しいスタッフとして私を雇ってくれました。ロサンゼルスということで日本人も多く、結果的にすごく「ぬくぬく」とした本当に恵まれた環境でした。子どもも1人増えて戻ってくるという(笑)。
西村勇哉なるほど。ラボは病院の中にあるんですか?
小島伸彦そうです。退役軍人病院は近隣にある大きな大学と必ず提携をしているので、その病院もUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)と提携をしていました。ですから、ラボの場所自体は病院なのですが、UCLAのいろいろなファシリティも使えました。ビザに関する手続きはUCLAがやってくれました。
ヤナガワ先生の自宅にて。
ラボのメンバーとその家族、また日本から遊びに来た両親とともに(2007年)
西村勇哉そこで、どんな研究をされたんですか。
小島伸彦腎臓の再生医療に関する研究です。腎臓疾患は患者が多い割に効果的な治療法が見つかっていないので、ヤナガワ先生は腎臓の細胞を先祖返りさせて、治療方法を探るようなことができないかと考えていました。具体的には、すでに分化した尿細管の上皮細胞をリプログラミングして、試験管の中で腎臓の原基がつくれないか?、というアイデアで、私はリプログラミングの方法について取り組みました。結局、2年9ヵ月で論文を1本書いただけでしたが、3次元培養法やその評価法について、いろいろと経験を積むことができました。
西村勇哉面白いですね。細胞を通して、工学と理学、医学が入り混じる。
小島伸彦そうですね。理学部の先生はどちらかと言うと原理や理論に興味を持ちますが、応用を前提として臓器をつくることを考えると、ひとつの専門だけでは足りません。医学も工学も理学もそれぞれ発想や立場が違いますから、いろんな側面から学ぶことが必要なんですよ。
西村勇哉ちなみに、応用の現場にいるときに、理学部で基礎研究をやっていて良かったなと思うことはありますか。
小島伸彦理学部は、自然界のはっきり説明ができない事象を理解していくことが目的です。細かい確認作業を積み上げて仮説を検証し、メカニズムの解明を試みます。応用研究では、何か解決すべき課題があり、どうやれば問題をクリアできるのかを考えます。両者は異なるように思えますが、レベルの高い応用研究には、間違いなく基礎研究が息づいています。研究資金やマンパワーという点でひとつの研究室でできることを考えたとき、あえて立場を明確にしてどちらかに専念するということが行われているように思いますが、応用研究に軸足をおく研究者も、キャリアのどこかで基礎研究に挑戦しておくことは価値があると思います。
西村勇哉一般論として、「基礎研究はあまり役に立たない」と言われがちですが、そうだろうかといつも思うんです。ちゃんと理解するからこそ、効果的に説明もできる。
小島伸彦そうですね。理学の分子レベルのエビデンスがあれば、応用の理屈を詳細に説明できると思います。例えば幹細胞がどういった仕組みで成熟した肝細胞に分化するのかをよく調べておかないと、何かトラブルが起こったときに対応できません。また、分化の効率や程度を高めたいとき、メカニズムが詳細にわかっていれば、どう対応すればよいかが明確になります。肝臓としての機能を2倍に高めることができれば、必要な細胞が減って治療費も1/2になるかもしれない。大事なところです。
西村勇哉そう、役に立たないわけはない。むしろ、基礎研究があるからこそ爆発的な成果が出るとも思います。
小島伸彦現在は異分野の研究室がコラボレーションする機会も増えました。実は、目的も文化も異なる研究室が協調的に活動するのは、意外と難しいのです。そういったなかで、基礎分野にも応用分野にも所属していた経験があるというのは、橋渡しをすることができるという意味でも価値があります。
ヒトの細胞で培養システムをつくるMPS技術の必要性
西村勇哉そろそろ小島先生の研究の話に移りたいと思います。ひとつ伺いたいことは、大学のお話の中でも出てきた、三次元的に細胞を培養することで、これまで平面的なシャーレの中では実現できなかった結果を生み出していくという部分。なぜ三次元的にしないと、効果的に結果が出ないのか、もしくは持続しないのか。そこをもう少し伺えますか。
小島伸彦平面のシャーレ、いわゆるペトリ皿は、細胞を増殖させるのに比較的向いているんです。ただ、細胞というのは増殖モードになると、代謝機能や臓器の機能が落ちてしまうので、一般論としてそのふたつは両立しません。一方で、三次元にすると、細胞は増殖しづらくなって分化機能を発現するようなモードになると。
そこにはいろいろな要素が関わっているんですが、ひとつは細胞骨格が関係しています。平面だと、細胞は平べったく広がった形になるんですが、三次元培養すると、丸みを帯びた形になります。細胞の形と細胞骨格には密接な関係があり、平べったい形のときには増殖する傾向があり、丸い形のときは増殖しない傾向があります。また、肝細胞は細胞同士の接着面が多く、密な状態のときに、連携しながら成熟した肝臓の機能を出そうとします。細胞は周囲の微小環境を認識して、自分がどう振る舞うべきかを判断しているようなところがあるんですよ。
小島研究室がもつ3次元培養技術。様々な種類の細胞を寄せ集めて、ボール状の3次元組織を作製することができる。細胞配位の制御や流路構造の付与、コラーゲン等の充填などを組み合わせて、細胞を取り巻く微小環境をデザインすることができる。疾患状態の臓器や、生体に存在し得ない全く架空の臓器をつくることもできる。
西村勇哉なるほど。そうすると、ある種元々の細胞にはそういった機能が存在していて、平面か三次元かという条件によって応答が違ってくると。もともと細胞は三次元の環境にあるわけだから、一般的な平面の実験ではそこが出てこない。三次元での機能を発現させたいんだがら、三次元で育てていく必要があるという、そんな理解であっていますか?
小島伸彦そうですね。細胞は自分がのっている素材の固さを検知しており、固いシャーレで培養する場合とやわらかいゲルの上で培養した場合とでは細胞の振る舞いが変わるとも言われています。我々の体は比較的柔らかい組織でできているので、ある程度、柔らかい環境にしてあげたほうが生体に近い機能が出るのだと。
西村勇哉それがわかってきたのは最近なんですか?
小島伸彦明確に議論され始めたのは15年前ぐらいですね。
西村勇哉面白いですね。ただ細胞があればいいわけではないということですね。
先生の過去のインタビュー記事を読むと、「Human on a Chip」という言葉を使って説明されていましたね。この技術によって薬剤効果の検証や創薬開発に使えると。例えば、ある程度の環境でつくった細胞じゃないと、ちょっと効果が減ってしまうということもあるのでしょうか。
小島伸彦おっしゃる通りです。少し前までは、 「Organ(s) on a Chip」や「Human on a Chip」、「Body on a Chip」という言い方をしてたんですが、最近ではそういうものをひっくるめて「Microphysiological systems」、略してMPSと呼ぶようになりました。「Microphysiological」、つまり「ミニチュアのように小さいけれど、生理学性の高い」培養システムということですね。
MPSの概念が世に知れ渡った有名な実験があります。どういうものかというと、肺胞上皮細胞を伸縮する柔らかいメンブレン(薄膜)の上に播種して、肺胞で起こる繰り返しの伸び縮みを再現しながら培養するんです。手のひらに乗るような小さなデバイスの中でそういうことをやります。そうすると、シャーレ上で培養するのとは全然違う、より実際の肺に近い細胞挙動が示されたという結果が得られたと。つまり、生体内にあるような環境を試験管の中でも再現してあげないと、臓器や細胞の機能はうまく再現できないんです。逆に、それをやれば動物実験の代替になり、ヒト細胞を使ったミニチュア臓器、それらを繋げたミニチュア人体のようなもので医薬品の候補物質を効率よくスクリーニングできるのだということです。
西村勇哉新しい概念の培養法がどんどん生まれてきているんですね。
小島伸彦そうですね、異なる臓器を繋げるといったコンセプトの培養技術の研究や、動物実験代替法の研究は昔からあったんです。しかし、今、創薬の現場が、本気でそういった技術を必要とし始めていて、それがMPSという言葉が生まれたきっかけだとも思います。昔ながらの低分子化合物なら、動物実験でもある程度毒性がわかるのですが、現在注目されている核酸医薬品や抗体医薬品などは、動物実験では薬効や毒性が評価できないほど特異性が高いので、ヒトの細胞で評価しないとダメなんですよ。
ところが、「ヒトの細胞を使って」といっても、シャーレを使った培養では細胞の機能がどうしても低いので、細胞の特性を再現するための培養システムが必要です。これを早く開発しないと、製薬会社は薬をつくれなくなってしまいます。そういう切羽詰まった状況でもあるのです。今のMPSは、どちらかと言うとデバイスをつくる研究者達が牽引する分野になってきています。しかし、ゲノムの多様性に基づいた国や地域ごとの創薬や、さらにはその先にあるテーラーメイド医療(個別化医療)を考えると、iPS細胞からつくった細胞を活用することが必要になります。その人個人の細胞で創薬すれば、希少疾患の方の治療法が見つかるかもしれません。つまり、デバイスとしてのMPS開発だけでなく、どのような細胞が用意できるかという部分も重要なのです。iPS細胞技術が成熟しつつある今だからこそ、MPSの分野がさらに活性化しているという状況がありますし、ここはやはり日本が頑張るべきところだと思います。
西村勇哉阪大のときのラットの肝臓を使った培養実験が、ここに来て回答が出てきているという感じなのでしょうか。
小島伸彦そうですね。臓器づくりに足りないものを追い求めてここまできました。本当の臓器をまるごとつくるのはなかなか大変ですけれども、ミニチュア臓器であれば、我々の技術でつくれますので、そういう意味ではひとつの回答かもしれません。
カジュアルな臓器移植「液体肝臓」の可能性
西村勇哉READYFORで資金を集められていた液体肝臓の研究も、ものすごく面白いと思いました。
小島伸彦液体肝臓は、高校時代からの夢であるサイボーグにつながるような研究です。ヒトの機能を高めたり、あるいは救ったりといことにもつながります。自分を例に説明すると、私は体質的にアルコールに弱いのでお酒に強くなりたいという願望があります(笑)。これまでの3次元培養技術を開発するという流れでも、お酒に強い方のミニチュア肝臓を私のお腹の中に入れれば、単純にお酒に強くなれます。しかし、他人の細胞を移植するということになり、免疫抑制剤を一生飲み続けなければならなくなるんですね。免疫が抑制されるとういうことは、感染症に対して弱くなること。やはり、そこまでのリスクを負ってまで、お酒に強くなりたいと思う人はいないでしょう。
攻殻機動隊REALIZE PROJECT the AWARDの授賞式にて(2016年)
小島伸彦では、免疫抑制剤を飲まずに肝機能を高められるような細胞移植の方法論は本当にないのか?ということです。このような常識外れなことを考え始めたのは、2016年の攻殻機動隊REALIZE PROJECT the AWARD(攻殻機動隊に登場する近未来テクノロジーの実現を追究する技術コンペ)でグランプリを受賞したのがきっかけです。このときは、我々が得意とする三次元培養したミニチュア肝臓で、肝機能の一つであるアルコール解毒機能を高機能化するということを発表しました。友人から攻殻機動隊のイベントがあることを聞き、記念受験のつもりで応募したので、まさかグランプリに選ばれるとは思っていませんでしたが。
しかし、受賞をきっかけに、本当にミニチュア臓器で人が救えるのか、さらには自分がパワーアップできるのか、自分自身がその手術を受けたいのかどうか、と改めて考え始めた結果、「違うな」と思ったんです。ミニチュア臓器は、MPSには使える技術かもしれない。治療もギリギリセーフかもしれない。でも、パワーアップに、つまりお酒に強くなるために使うのはやはり無理だなと。
そこで、目的を達成するためにどんな方法論があるのかと、もうゼロから考えてみました。ずっとボトムアップ的に知識や経験を築き上げてきたのですが、トップダウン的に考え直してみたわけです。例えば、赤血球は血液型を合わせれば輸血が可能です。O型でRhマイナスだったら、どなたにでも輸血ができる。移植に免疫抑制剤が必要ないのです。すでに医療現場で実用化されています。
お酒を飲むと、アルコールは肝臓で代謝されて一旦アセトアルデヒドになり、さらに酢酸に変わります。顔が赤くなったり、二日酔いになるのは、肝臓で発生するアセトアルデヒドが原因です。お酒に強い人は、そのアセトアルデヒドを素早く酢酸に代謝できますが、お酒に弱い人は時間がかかります。ですので、お酒に弱い人も、その代謝反応を補助してあげればよいのです。では、アセトアルデヒドをどう減らすか。
アセトアルデヒドは、肝臓の中だけではなく血液中にどんどん溢れ出すので、顔や全身が火照ったり、頭痛を引き起こしたりします。ということは、肝臓の中に細胞移植するのではなくとも、血液中で代謝してしまえばいい。赤血球は、核やミトコンドリアなどの細胞小器官も捨て去った、極論するとヘモグロビンを入れるための袋です。ヘモグロビンの代わりに代謝酵素を封入すれば、血液中でアセトアルデヒドを酢酸に代謝できる。そう考えると、赤血球というのは非常に都合が良いわけです。
西村勇哉いい感じに流し込めるっていうことですね。
小島伸彦そうです。もちろん、液体肝臓にすべての肝機能をもたせることは困難ですが、機能をひとつに絞った場合であれば、再生医療分野の一般的な細胞移植で起こりうる問題をほぼ全て回避できます。なぜかというと、赤血球は最長で120日しかもちません。実際に体の中に打った場合は、3〜4週間というところでしょう。その一定期間だけお酒に強くなれると。そのような短期的にブーストするような形なら、安全が高いと思います。永続的で不可逆的な細胞移植の場合、ずっとその状態が続くことに対して、やっぱり元に戻したいという気持ちも生まれると思いますしね。
西村勇哉この話を知ったときに、すごいなと思いました。臓器をそっくり同じにつくって入れ替えることはなんとなく想像できますが、つくるものを全然違うものにしようというのは、なかなか考えつかないこと。しかも臓器の機能をつくれば、その臓器の場所ではなくても機能する場所に届けばいい。ほとんど薬ですね。そうすると、これまでの薬の概念を全然違うものとして見ることができる。薬で無理矢理やっつけるような話というよりも、自分の生体機能で対処するという。
小島伸彦そういうふうに捉えていただけると、とても嬉しいです。これまでにない臓器の概念を生み出せているということですから。
西村勇哉今おっしゃられたのは、お酒に強くなる場合のお話でしたが、そのほかの機能もいろいろと考えられるわけですよね。
READYFORで行ったクラウドファンディングプロジェクト
小島伸彦READYFORを通じて資金調達をしたプロジェクトでは、生まれつき肝臓の一部の機能が欠損する病気である、先天代謝異常症のフェニルケトン尿症の方に向けた液体肝臓の開発をしています。フェニルケトン尿症の患者さんは、一生お肉が食べられないという厳しい食事制限がありますが、液体肝臓を輸血すれば、例えば数週間ぐらいはお肉が食べられるかもしれません。これは患者さんにとって生まれ変わらないとできないことなので、短期間とはいえすごく喜ばれるのではないかと思います。
あとは、同じような発想に基づくと、痛風の治療もできるかもしれません。痛風は、血液中の尿酸がたまることが原因で起こります。尿酸を分解する代謝酵素を人は持ってないのですが、他の生物のものを利用すれば理論上は痛風を治すような赤血球もつくれます。これもとんでもない話かもしれませんが、男性が女性になりたい、あるいはその逆の場合でも、血液中の余計なホルモンを減らすことができるかもしれません。
西村勇哉面白いと思ったのが、遺伝子自体を変えるのではなく、赤血球を使って違う要素を出してあげるところです。やめたい場合も後戻り可能なわけですよね。逆に、臓器移植は後戻りができないわけじゃないですか。
小島伸彦そうなんです。臓器移植は生きるか死ぬかの瀬戸際における最終手段ですが、私が今考えている液体肝臓は、そのハードルを下げるようなもっとカジュアルな臓器移植なのです。気軽に受けて、気に入らなかったらやめられる。そんな臓器移植があってもいいんじゃないかと思っています。
西村勇哉実際に技術的にはどれぐらい難しいのですか。
小島伸彦赤血球の中に機能を入れること自体は、それほど難しい技術ではありません。例えば、試験管の中で機能の再現性を調べるようなことも、実は海外のチームが報告をしています。このアイデアに辿り着いたときには、これまで聞いたことのないアプローチだと思ったのですが、海外ではいくつかのチームがすでに取り組んでいました。しかし、さすがに液体肝臓とは呼んでいないようです(笑)。
西村勇哉赤血球の中身を抜くというのは、1個1個抜くんですか?
小島伸彦赤血球を浸透圧の低い低張液(ていちょうえき)に移すとバーストしてくれるので、中にあったものが外に出て外にあったものが中に入ります。それを元の等張液(とうちょうえき)に戻すと、不思議なことに元々の形に戻ってくれる。これは大量に処理するときの方法です。しかし、この方法では細胞膜が弱くなります。ダメージを少なくするためには、細い針を刺して中身を入れ替える方法もよいかもしれません。将来的に、治療に使うような数の赤血球を短時間で処理できるような装置を開発すれば、もっと効果長持ちするような液体肝臓ができるかもしれません。
横浜市立大学で液体肝臓の開発に取り組むメンバーと
西村勇哉確かに、完全な自動化も理論的にはできそうな気がしますね。
小島伸彦海外では低張液を使う方法を機械化し、30分ぐらいで中身を入れ替えるような装置をつくって販売している企業もあります。
西村勇哉ある種、もうちょっとで実現する未来でしょうか?
小島伸彦海外のチームは臨床試験を行っているところもあります。ただ、代謝酵素が機能を発揮するためには、補酵素が必要な場合があります。その補酵素を赤血球の中で再生することを考え始めると複雑になってきます。フェニルケトン尿症で使う代謝酵素の場合は、補酵素を経口で摂取することができます。補酵素が必要ない代謝酵素を使うというアイデアもあります。ただ、今後の幅広い応用を想定すると、できれば補酵素を繰り返し再生できるような液体肝臓をつくりたいですね。そのようなレベルの高い液体肝臓を作り上げるには、もう少し時間がかかると思います。
西村勇哉そうか、普通に経口薬として飲むこともできるんですね。ちなみに、赤血球の輸送方法は、経口に比べるとどういうよさがあるのでしょうか。
小島伸彦補酵素は、低分子なので腸から吸収できるんですけども、代謝酵素はタンパク質なので腸からそのまま吸収されることはなく、血液中に直接入れる必要があります。本当は飲んで効くようなものをつくれたら一番良いとは思うのですが。今の段階では、直接血液の中に入れる形になります。
西村勇哉とはいえ、今までの経口薬ではできなかったことを、血液を使って輸送するという方法でやってあげられるわけですよね。さらに輸血のように薬剤をそのまま入れるのとはまた違って、代謝酵素を入れられるということですから。
小島伸彦はい。もしアセトアルデヒドやフェニルアラニンを普通の方法で別の物質に変えようとすると、高温や高圧などの条件が必要になるので大変ですが、代謝酵素の働きを利用すれば、体内のマイルドな条件でそれらを変換することができますから。
西村勇哉最初におっしゃられていた、肝臓をもしつくるんだったら東京ドームの規模で装置が必要だという話とつながってきますね。一つひとつの物質として入れることをやり始めると、大きな設備が必要になったり、毎日打たなければならなくなる。ところが、機能を持った液体として入れることによって、一回でしばらくの間は、なんらかの課題を解消してくれるという。
この仕組みを人に伝えるのは結構難しいと思いますが、そういう意味で「液体肝臓」という言葉は、わかりやすいですね。薬ではなく臓器的なもの、しかも液体だとわかる。仕組みはよくわからないなりに「肝臓的なものを入れちゃうんだね」とわかるから。
小島伸彦ありがとうございます。あまりよくできた言葉ではないかもしれませんが、少なくとも興味は持っていただけると思います。
青年期の思いを持ち続けた結果、面白く強いテーマに
西村勇哉いろいろとお話を伺ってきましたが、小島先生は子どもの頃に観たアニメーションから始まった思いを今も持たれています。おそらく先生の中で変わらない部分と、さまざまなことに取り組んできたからこそ変わってきた部分があると思うのですが、それについて最後にお伺いできますか。
小島伸彦難しい質問ですね。ひとつ、私が恵まれているのは、子どもの頃の思いのままでここまで来れたことでしょうか。自分でも、どこかで大人にならなければいけないと思っていたんですが、なぜか、ここまで来れてしまいました(笑)。でも、研究に向き合う姿勢でいえば、むしろ高校生の頃の思いに立ち返った方が面白いものができます。
変わってきた部分。昔は研究室に閉じこもって研究を進めることが一番大切だと思っていましたが、結局のところ一人では研究はできません。いろいろな学会や研究会に所属していますし、幸運なことに大型の国家プロジェクトにも参加させていただいています。それぞれ、足並みを揃えて全体の目的に向かって進んでいくわけです。
それらの活動は直接または間接的に研究費に繋がっています。横浜市立大学の場合、何も言わずに大学からもらえる研究費は年間50万円です。大学によってはもっと低いこともあります。研究に使う試薬の中には、1本で6万円も7万円もするものもあります。ヒト初代肝細胞は1本で20万円。日常的に使う顕微鏡も、よいものは500万円くらいから。大学には共通機器もありますが、基本的には自分たちで買い揃えていきます。
本格的な研究は、外部の競争的資金を獲得しないとできません。お恥ずかしい限りですが、最近になってようやく、そういう大人の部分を少し使い分けられるようになってきたのが、変わってきた部分でしょうか。ちなみに、液体肝臓の研究費獲得のためにクラウドファンディングに挑戦したのは、全く新しい取り組みをゼロから始めるということで、競争的資金を勝ち取るために必要な種々の業績が少ないと判断したからです。以前の自分なら、クラウドファンディングなんて研究者のやることではないと考えていたかもしれません。
西村勇哉思いはそのままに、同時に具体的にどうすれば実現に近づけるか、そのために特に新しいものであるほど1人ではなく協力を得ながら進めていく、物事の進め方が良い意味で変わってきた部分でしょうか。
小島伸彦そうですね。そこは子どもの頃の思いを持ち続けた方が結果的に強いテーマになります。訴える力が違いますし、自分でやっていてもテンションが上がりますよね。若手の研究者は、どちらかと言うと早く洗練された研究者になりたいという思いがあるかもしれませんが、若い時のモチベーションになっているテーマも是非大切にして、どんどん切り捨ててしまわないようにして欲しいですね。
西村勇哉ありがとうございます。今回のインタビューはガンダムの本を贈ってくれた知人に読んでほしいと思いました。すごく喜ばれるだろうなと。
小島伸彦大人が子どものために本気でつくってくれるものだからこそ、子どもたちの心に響くのだと思います。SFアニメをつくられている方々は、大きな使命を担っておられますね。
西村勇哉そういう意味では、よく練られた質のよいアニメがもっと世の中に増えると面白いですね。
小島伸彦よく考証された、質の良いアニメならワンシーンだけでもいいと思うんですよ。そのワンシーンが一生頭に残っているだけでも、さまざまな発想につながっていきますから。
西村勇哉「物語が歴史をつくる」という考え方が文学の中にあります。例えば、アレキサンダー大王がホメロスの『イーリアス』を枕元にずっと持っていて、その中に出てくる場所を攻めたりするんですね。それ自体はとても意味がないことなんですが。つまり何が言いたいかというと、物語が先か歴史が先かというのではなく、人間はいろいろなものから影響を受けながら、次の人にも影響を与えていく。だから「そんな物語は存在しない」と否定するのではなく、「意味はあるよね」と捉えられるようになると、もっと世の中は楽しくなるでしょうね。
小島伸彦深い理由はないけども、本で読んだちょっとしたことに、単純な憧れや、素朴な疑問など、気持ちに引っかかるような思いを持つことがありますよね。そういう不思議なこだわりが、自分の歴史を大きく動かすこともあるのでしょう。私自身、振り返ってみるとその通りだと思います。
西村勇哉ありがとうございます。随分長くなってしまいましたが、個人的にはいくらでも話したいですね!
『機動戦士ガンダム』や『攻殻機動隊』などのアニメーションに影響を受けた人は、これを読んでいる読者の方にも多いのではないでしょうか。かくいう私も小学生時代にガンダムブームがやってきた世代として、クラスの男子があの複雑で緻密な「設定」に一喜一憂している様子を目撃していたひとりでした。
あのガンダム談義の中に未来をつくる科学の芽が潜んでいたとは、そのときは思いもしなかったわけですけれども。多感な時代に細部に至るまで夢中になれる作品と出会えた経験が、未来を切り開いていくときの支えになる。それをまさに体現している小島先生のお話でした。Childhood never die。子ども心よ永遠なれ!